木浦[2004.9.14]飯蛸の踊り喰い2008/10/20 00:57

これから食べられる運命の蛸たち
無題ドキュメント 陸マイラーとしての最初のボーナスフライトは韓国。88年の初海外旅行以来、16年ぶりの韓国でした。

かなり印象が変わってました。そこかしこに10数階建てのマンションが林立して、ニュータウン的な風景が目につきました。日本よりはるかに狭い国土に多くの人々が暮らす人口密度からすると無理もないんでしょうけど、なんとなく味気ない寂しい気持ちになってしまいました。

この旅では仁川→大田→錦山→全州→光州→木浦→ソウルという行程でしたが、この旅では食べ物の記憶が多く残っています。韓国の食文化は素晴らしい!
木浦は韓国南西部の港町で以前から行きたかったまちでした。ここの名物は飯蛸の踊り喰い!体長10cmほどの小さな蛸を生きたまま食べるという残酷な食文化です。最初に韓国を旅したときは行けなくてずっと引っかかってましたが、この旅でやっと念願を果たすことができました。。

木浦駅から歩いて20分ほどで漁港近くの海産物屋さんが並ぶ通りに出ます。店先に干物なんかが並ぶ風景は下田や伊東あたりと共通するものがあります。それらの中からなんとなく良さそうな店を選んで入ると2階が食堂スペースになっていました。

あんな小さな店で韓国語も分からないのにどうやって注文したのか全く記憶がないけどたぶん店の誰かが英語を話してくれたのだろう。飯蛸だけは外さないようにあとは適当に頼みましたが、日本と同じ海を共有しているとは思えないくらい調理法や味付けが違うもんで、なかなか新鮮でした。

さて、主目的の飯蛸ですが、やっぱり美味いですね!生きてるわけですからそりゃもう新鮮!

でも美味しさ以上にインパクトがあるのはやはり蛸の断末魔の吸い付き力。水を張った皿に蛸が数匹泳いでいるところへ箸を近づけ狙った蛸を箸に巻きつけたら素早く辛みのあるタレに浸けて口に放り込むのですが、蛸はものすごい力で暴れまくり、舌や口腔の内側に吸盤を吸い付けます。これを弱らせるために覚悟を決めて思いきり噛む!噛む!そうして勢いが弱まったところで飲み込む…。

なんとも残酷な美味しさでした。


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廈門[2005.9.20]近世と近代が向かい合うまち2008/10/18 22:46

手前コロンス島と向こうアモイ本島
無題ドキュメント この頃、我が家は完全な陸マイラー(飛行機に乗ることではなく、買い物などでマイレージを貯める人)となっていました。各種公共料金、日々のガソリン代等々、極力全ての支払いをカード払いにすることで、意外とたくさんのマイレージが貯まるもんです。2004年の韓国も、この年の中国もマイレージのボーナスフライトで行きました。

そんなわけで、2005年の夏休み旅行の旅先に選んだのが中国でした。ただ、中国は公私ともに行く機会がわりと多いので、この時選んだのが、行ったことがない廈門(アモイ)と海南島でした。

廈門は海峡を挟んですぐに台湾という位置で、福建省の中心都市のひとつです。よって、ウーロン茶をはじめとしたお茶屋さんが多いのと、台湾の影響をそこかしかこに感じる場所という感じでした。ほとんど情報を持たず、ただマイレージで行ける都市だからという感じで行ったのですが、意外と面白いまちでしたね。

廈門は省都ではないものの経済特区になっているように、台湾との結びつきの強さも影響しているのでしょうが、急激な都市化をしており、とても近代的な町並みです。高層ビルが立ち並び、ゆったりとした都市公園が時々あり、みたいな。

そんな廈門がさらに面白いのは、鼓浪嶼(コロンス島)という島まるごと歴史保存島みたいな島があること。清朝時代の共同租界で海外列強の領事館や商社の商館が立ち並んだ歴史があって、その時代の建物の多くが残されています。この島を中国政府はまるごと「観光公園」みたいな位置づけをしていて、ガソリン車通行禁止など、徹底的な観光活用を試みています。電気自動車しか走っていないというのがすごいです。コルフ場か!って感じです。

そのコロンス島の真ん中に小高い山があって、展望台になっています。そこから本島を眺めた図がこの写真。対比が面白いかな、と。


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扶余(韓国)[1988.8.8] 素朴な古都2008/10/11 14:12

白村エの戦いの舞台となった白馬江(錦江)
無題ドキュメント これはかなり昔、20年前の写真です。

大学生になって、4月から7月までアルバイトをして貯めたお金で初めて行った海外、それが韓国でした。18きっぷで一昼夜かけて各駅停車で下関まで行き、夜行フェリーで釜山に渡りました。下関までの切符代が2,200円、関釜フェリーの学割料金がたしか6,000円弱だったと思った。とにかく1万円を切る値段で「海外」に行けることに興奮した覚えがあります。

初めて日本以外の国を生で見て、すごくいろんなことを感じた旅でした。泊まれる宿がなくて一般の人の家に泊めてもらったり、日本語が話せるおばあちゃんがたくさんいたりして・・・。近くて遠い国とも言われるけれども、自分にとっては様々なことが近いと実感した国でした。

この写真は扶余という町を流れる白馬江(ペンマガン。正式名称は錦江)。扶余は古代王朝「百済」の王都だったところで、日本と非常につながりが深い場所です。中大兄皇子が新羅・唐軍に攻められた百済に大量の援軍を送り壊滅的な敗北をして百済が滅んだ白村江の戦い(663年)の舞台でもあります。

百済滅亡の悲劇の舞台である百花台という場所から眺める白馬江の風景は、かつての戦乱の惨状とは対照的な、のどかな農村風景という感じです。扶余の町も、(今は結構都市的になったのかもしれませんが)のんびりとした田舎町という感じで、非常に居心地の良い町でした。

日本で言えば明日香村みたいな感じだと思います。京都よりも奈良が、奈良よりも飛鳥が好きな人にはお奨めしたい素朴な古都です。


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