扶余(韓国)[1988.8.8] 素朴な古都2008/10/11 14:12

白村エの戦いの舞台となった白馬江(錦江)
無題ドキュメント これはかなり昔、20年前の写真です。

大学生になって、4月から7月までアルバイトをして貯めたお金で初めて行った海外、それが韓国でした。18きっぷで一昼夜かけて各駅停車で下関まで行き、夜行フェリーで釜山に渡りました。下関までの切符代が2,200円、関釜フェリーの学割料金がたしか6,000円弱だったと思った。とにかく1万円を切る値段で「海外」に行けることに興奮した覚えがあります。

初めて日本以外の国を生で見て、すごくいろんなことを感じた旅でした。泊まれる宿がなくて一般の人の家に泊めてもらったり、日本語が話せるおばあちゃんがたくさんいたりして・・・。近くて遠い国とも言われるけれども、自分にとっては様々なことが近いと実感した国でした。

この写真は扶余という町を流れる白馬江(ペンマガン。正式名称は錦江)。扶余は古代王朝「百済」の王都だったところで、日本と非常につながりが深い場所です。中大兄皇子が新羅・唐軍に攻められた百済に大量の援軍を送り壊滅的な敗北をして百済が滅んだ白村江の戦い(663年)の舞台でもあります。

百済滅亡の悲劇の舞台である百花台という場所から眺める白馬江の風景は、かつての戦乱の惨状とは対照的な、のどかな農村風景という感じです。扶余の町も、(今は結構都市的になったのかもしれませんが)のんびりとした田舎町という感じで、非常に居心地の良い町でした。

日本で言えば明日香村みたいな感じだと思います。京都よりも奈良が、奈良よりも飛鳥が好きな人にはお奨めしたい素朴な古都です。


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